▼「誰も知らない」の予告編はこちら▼
映画のあらすじや、実話の概要については
Wikipediaさんや他のサイトにお任せするとして…
この記事では、印象に残ってるシーンや
映画を観た感想を書いていきたいと思います。
以下、ネタバレを含んだ感想となるので、それでもOKな方は読み進めてくださいませ。
印象に残ってるシーン3選
お年玉を渡すシーン
「クリスマスには帰る」と言って出ていった
母親(YOU)の言葉を信じ
母親の帰りを待ち望んでいた子供たち…。
しかし、結局母親はクリスマスには帰ってきませんでした。
そこで明は、母親からの現金書留に記載されてる住所から
電話番号を調べ、母親に電話をするわけですが…
電話に出たのは別性(山本)を名乗る母親。
その明るい声から
明は母親が帰ってこないことを悟ります。
年が明け…
明はポチ袋を購入して
数少ない頼れる大人の一人(コンビニ店員)に
ポチ袋に妹・弟それぞれの名前を書くよう依頼します。
そして、「お母さんからお年玉だよ」と
妹・弟にお年玉を手渡します。
生活が苦しい中…
先が見えない不安を抱えてる中…
母親が帰ってこないと分かってる中…
つまり、自分もめちゃくちゃ辛い気持ちを抱えてる中…
母親の帰りを待ち望んでいる妹・弟を
少しでも安心させようと、明は嘘をつくわけです。優しい嘘を。
きょうだい4人で出かけ遊んでいるシーン
母親が帰ってこない日々がずっと続き
生活もどんどん荒んでいきます。
(この心理は、あくまでも推測ですが…)
「このままでは妹・弟の心も、自分自身の心も荒んでいく…」
そう判断した明は、(一度、妹の「ゆき」とは外出してますが)それまで守っていた
「明以外は外に出ない=妹・弟を外に出さない」という
母親との約束を思いっ切り破り、きょうだい皆で外にでかけます。
なけなしのお金でたくさん買い込んだり…
公園できょうだい4人で遊んだり…
帰りに道端に咲いていた花の種を採って…
アパートのベランダで育てるために土を集めたり…
ゆきの遺体が入ったスーツケースに土をかぶせるシーン
ゆき(清水萌々子)の遺体が入ったスーツケースに
手を震わせながら、土をかぶせる明。
一度、スーツケースに土をかぶせた後
「今朝ゆきのこと触ってみたら冷たくて気持ち悪かった…なんかそれがすごく…なんかさ、すごく…」
と、自分を納得させるように…
何かと葛藤している様子で詰まりながら話す明。
そして、その震える手に
そっと手を差し伸べる紗希(韓英恵)…。
ここでも手を差し伸べるのは大人はではなく、子供である紗希。
それを象徴しているシーンの一つと感じました。
違和感だらけの二人に声をかける人が誰もいない
夜、子供が二人がかりで
「大きく重そうなスーツケース」を運んでいる…
この違和感しかない光景を見ても
大人は誰一人として声をかけない…
ゆきの遺体を埋葬した帰りの電車でも…
土で汚れまくった服を着た「違和感しかない二人」に声をかける大人はいない…
そんな場面はここまでも何度もありますが…
最後の最後までそれは覆ることがありませんでした。
柳楽優弥が出演してる他作品も観たい!
母親がいる時、いない時
きょうだいを思いやってる時、イラついてる時
不安な時、戸惑ってる時、満たされてる時…
その全てを目が物語っています。表情が物語っています。
超自然的。まったく違和感を感じません。
この「誰も知らない」を観て…
そう思わずにはいられませんでした。
後味の悪い結末…そこから僕が感じたこと。
「誰も知らない」は後味の悪い映画として有名(?)なようです。
実際のところ
僕もラストシーンを観て
そんな風に思ったわけですが…。
この想いは、少し時間が経って変わりました。
救うための第一歩且つ重要なことは無関心をやめることだろ。救うのは周りの大人でしょ。観ているお前だろ。
僕はそんなメッセージだと勝手に受け取った。
観ている間中、観終えた後も、考えさせてくれる素晴らしい作品だと僕は思っている。#誰も知らない— こーすけ@キニナルナル (@kousuketoiimasu) July 26, 2019
#誰も知らない のラストはハッピーエンドではないけど…(実話を元にしたってこともあってだと思うけど)
ハッピーエンドじゃない理由、「あの感じ」で終わった理由を考えた時に、#彼女たちの時代 のこのセリフが思い浮かんだ。 https://t.co/ZNpcxQ39JN
— こーすけ@キニナルナル (@kousuketoiimasu) July 27, 2019
▼そのセリフってのがこちら▼
映画やドラマを観ていていつも思う幸せなそうなハッピーエンドなんて嘘なんじゃないかと本当はハッピーエンドのあとこそが大変なんじゃないかと思うのだだって鮮やかな何もかも解決してしまったかのようなラストシーンのその後も人はずっとずっと生きて行かなければならないのだから#彼女たちの時代
— un poco💬 (@unpocokika) March 23, 2013
もし「誰も知らない」の結末がハッピーエンドで
子供達がみんな救われる展開だったら…
「観ている人を気持ち良くする」
それも映画の一つの姿ではあると思うのですが…
映画の中で「何もかも解決されてしまったかのようなラスト」を迎えたら…
観ている人は気持ち良いかもしれないけど「それで終わり」。
それ以上の拡がりはないと思うのです。
あの終わり方だから意味がある。
「社会がどうなって欲しいか」ではなく
「自分がこの社会をどうしたいか、どうしていくか」
「それを考えてほしい」
そんなメッセージが込められているのでは?
僕はそのように強く思ったのでした。
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